大手複合サービス企業クロスオーバー社の事例:トランスジェンダー従業員への包括的支援制度と環境整備
大手複合サービス企業クロスオーバー社の事例:トランスジェンダー従業員への包括的支援制度と環境整備
本記事では、従業員数万名を擁する大手複合サービス企業であるクロスオーバー社が、トランスジェンダー従業員を含む全ての従業員が安心して働くことができる環境をどのように構築してきたのか、その具体的な取り組み事例をご紹介します。
導入:なぜクロスオーバー社はトランスジェンダーインクルージョンに取り組んだのか
クロスオーバー社は、国内外で多岐にわたるサービスを展開しており、多様な顧客層と従業員を抱えています。企業理念として「全ての人の可能性を最大限に引き出す」を掲げていましたが、LGBTQ+、特にトランスジェンダー従業員が直面する課題に対して、既存の制度や環境が十分に対応できていないという認識がありました。
取り組みの背景には、数名のトランスジェンダー当事者である従業員からの切実な声や、アライ従業員からの問題提起がありました。「性別移行期間中の休暇制度がない」「通称名の利用がスムーズではない部署がある」「利用できるトイレや更衣室に困ることがある」といった具体的な課題が挙げられ、これらを放置することは、企業理念との不整合を生むだけでなく、優秀な人材の離職リスクを高め、企業としての社会的責任を果たせない状況であると判断しました。
このような背景から、クロスオーバー社は、単なる福利厚生の拡充に留まらず、人事制度、物理的な環境、そして従業員の意識といった多角的な側面から、トランスジェンダー従業員への包括的な支援体制を構築することを重要な経営課題の一つと位置づけ、全社的なプロジェクトとして取り組みを開始しました。本記事では、その中でも特に焦点を当てた、制度、環境、研修、相談体制の具体的な取り組みとその効果について詳しくご紹介します。
具体的な取り組み内容
クロスオーバー社が実施したトランスジェンダーインクルージョンに関する主な取り組みは多岐にわたりますが、ここではその中でも代表的なものをいくつかご紹介します。
1. 人事制度の改訂と拡充
- 性別適合手術・関連通院休暇制度の導入: 性別移行プロセスにある従業員が、安心して手術やホルモン治療のための通院を行えるよう、特別休暇制度を新設しました。これにより、個人的な理由での有給休暇取得や、周囲への過度な説明なく、必要な医療行為に専念できる環境を整備しました。
- 通称名の社内利用徹底: 戸籍上の性別に関わらず、希望する通称名での業務遂行を原則としました。社員証、社内システム(メールアドレス、グループウェア、人事管理システムの一部項目)、名刺、社内向け文書など、可能な限り通称名が利用できるようシステム改修や運用ルールの見直しを実施しました。特に、人事管理システムにおいて、戸籍上の性別と通称名が併記できる、あるいは通称名のみを表示させるといった柔軟な設定を可能にしました。
- 制服規定の柔軟化: 職種によっては制服を着用する部署がありますが、従来の男性用・女性用という区別を廃止し、機能性やデザインに応じて自由に選択できる形に見直しました。また、特定のアイテム(例: ネクタイ、スカーフ)についても、強制ではなく選択制とするなど、個々の従業員の性表現を尊重する規定へと変更しました。
2. 物理的環境の整備
- 多目的トイレ/オールジェンダートイレの設置拡大: 新規開設・改修するオフィスビルや店舗においては、多目的トイレの数を増やしたり、鍵付きの個室型トイレを増設したりすることで、性別を問わず誰もが利用しやすい環境整備を進めています。既存施設についても、可能な範囲で「男女共用トイレ」への表示変更や、個室型トイレの設置を検討・実施しています。
- 更衣室利用に関する配慮: 物理的に男女別の更衣室しかない場合でも、希望する従業員に対しては、個別ブースの設置や、利用時間の調整、近くの多目的トイレでの着替え許可など、プライバシーに配慮した柔軟な対応を行うことをガイドライン化しました。
3. 研修・啓発活動の実施
- 全従業員向けeラーニング: LGBTQ+に関する基礎知識、特にトランスジェンダーに関する用語解説や適切な声かけの方法、アウティング防止の重要性などを含むeラーニングを全従業員に必須受講としました。定期的なアップデートも実施しています。
- 管理職向け深度ある研修: 部下のマネジメントを行う管理職に対しては、eラーニングに加え、事例検討やグループディスカッションを取り入れた対面研修を実施しました。具体的な相談があった場合の対応方法、差別の防止、心理的安全性の高いチーム作りなど、実践的な内容に焦点を当てました。
- 当事者・アライによる講演会: 社内イベントとして、トランスジェンダー当事者やアライの従業員が自身の経験や思いを語る講演会を開催しました。これにより、抽象的な知識だけでなく、個々の「人」としての理解を深める機会を提供しました。
4. 相談体制の強化
- 社内外相談窓口の設置: 人事部門内に専門の相談員を配置するとともに、外部の専門機関(LGBTQ+支援団体やカウンセリングサービス)とも提携し、匿名での相談が可能な窓口を複数設置しました。産業医や保健師とも連携し、メンタルヘルスケアも含めた総合的なサポート体制を構築しています。
- FAQとハンドブックの作成: 従業員や管理職から寄せられる可能性のある質問を想定し、制度の内容、通称名の利用方法、ハラスメントに関する対応などをまとめたFAQを社内イントラネットで公開しました。また、管理職向けには、部下から相談を受けた際の対応マニュアルや、使えるリソースをまとめたハンドブックを配布しています。
導入プロセスと課題
これらの取り組みは、D&I推進部門が中心となり、約2年をかけて段階的に導入されました。
導入プロセス
- 現状把握とニーズ分析: 当事者従業員への匿名でのヒアリング(座談会、アンケート)や、外部専門家、先進企業からの情報収集を実施。社内外の課題感を明確化しました。
- 施策設計: 収集した情報に基づき、人事、総務、IT、広報など関係部署と連携しながら、具体的な制度、環境整備計画、研修プログラム、相談体制などを設計しました。特に、法的な側面や既存システムの制約などを考慮しながら、実現可能な範囲で最大限の効果が得られるよう検討を重ねました。
- 経営層・労働組合への説明と承認: 経営会議にて、これらの取り組みの必要性(企業価値向上、リスク低減、人材獲得・定着)をデータや具体的な声を用いて説明し、予算と承認を得ました。労働組合とも事前に十分な情報共有と協議を行い、合意形成を図りました。
- 社内各部署との調整: 各部署への説明会を実施し、制度変更やシステム改修、環境整備への協力を依頼しました。特に、現場の従業員に直接影響が出る部署(店舗、工場など)とは、運用方法についてきめ細やかな調整を行いました。
- 従業員への周知と研修: 全従業員向けに、新たな制度や取り組みの目的、内容を丁寧に説明するアナウンスを実施。同時にeラーニングや対面研修を開始しました。
直面した課題と乗り越え方
- 従業員の理解不足・偏見: 一部の従業員からは、LGBTQ+に関する知識不足や、変化への抵抗感から、取り組みの目的について誤解や疑問の声が上がりました。これに対しては、一方的な押し付けではなく、多様な視点があることを認めつつ、粘り強く丁寧なコミュニケーションと研修を継続しました。当事者やアライの「顔が見える」メッセージ発信も効果的でした。
- 設備改修のコストと時間: 多目的トイレなどの設置拡大は、既存施設の構造的な制約や多大なコスト、時間を要する課題でした。全ての拠点で一度に完璧な環境を整備することは困難であるため、まずは利用者ニーズが高い拠点から優先的に実施する、既存の個室を有効活用するなど、段階的かつ柔軟なアプローチで対応を進めています。
- システム対応の複雑さ: 人事システムにおける通称名利用の徹底や、性別項目の取り扱い変更は、既存システムの仕様や他のシステムとの連携において技術的な課題や追加開発コストが発生しました。IT部門と密に連携し、優先順位をつけながら計画的に改修を進めました。全ての項目で通称名のみの表示が難しい場合は、併記や選択制とするなど、現実的な対応も取り入れました。
- 相談窓口へのアクセスとプライバシー: 相談窓口を設置しても、本当に困っている人がアクセスできるか、プライバシーが守られるかといった懸念がありました。これに対しては、匿名での相談オプションを提供したり、相談員の研修を徹底したり、相談窓口の存在を繰り返し周知したりすることで、利用へのハードルを下げる努力を続けています。
導入後の変化と効果
包括的な取り組みの導入により、クロスオーバー社では以下のようなポジティブな変化が見られました。
- 従業員の心理的安全性向上: 従業員アンケートにおいて、「自分らしく働けている」「社内に相談できる窓口がある」といった項目のスコアが改善しました。特にトランスジェンダー従業員からは、「制度ができたことで、会社が自分たちの存在を認めてくれたと感じる」「カミングアウトのハードルが下がった」といった肯定的な声が多数寄せられています。
- 社内コミュニケーションの円滑化: 通称名の利用が徹底されたことで、名前の呼称に関する従業員間の配慮や迷いが減り、より自然なコミュニケーションが生まれるようになりました。
- アライ従業員の増加と活動活性化: 会社の明確な姿勢を示すことで、アライであることへの表明がしやすくなり、従業員主導のLGBTQ+アライコミュニティの参加者が増加しました。コミュニティによる社内イベントの企画・実施も活発化し、全従業員の意識向上に貢献しています。
- 採用活動への好影響: 企業ウェブサイトや採用イベントでこれらの取り組みを紹介することで、多様なバックグラウンドを持つ応募者からの関心が高まり、採用競争力向上に繋がっています。特に、就職活動中のLGBTQ+当事者学生からは、安心して働ける企業としてクロスオーバー社を選ぶ決め手になったという声が聞かれました。
- 企業イメージ向上: 社外向けのCSRレポートや広報活動を通じて取り組みを発信することで、顧客や投資家、地域社会からの企業イメージ向上に貢献しています。ESG投資の観点からも評価を得ています。
- 離職率の低下: 全体的な離職率の変動に加え、特にD&I推進に取り組む以前に懸念されていた、マイノリティ従業員の離職率が低下傾向にあるというデータが得られています(具体的な数値は非公開)。
成功のポイントと示唆
クロスオーバー社のトランスジェンダーインクルージョンが成功に至った主なポイントと、読者の皆様への示唆は以下の通りです。
- トップおよび経営層の明確なコミットメント: 経営層が本件を重要な経営課題と位置づけ、メッセージを発信し、必要な予算とリソースを確保したことが、全社を巻き込む上で不可欠でした。
- 当事者の声に基づいた施策設計: 制度や環境は、机上の空論ではなく、実際に働く当事者の具体的なニーズや課題感に基づいています。当事者への丁寧なヒアリングと共同での課題解決アプローチが、実効性の高い施策に繋がりました。
- 制度・環境・意識の多角的なアプローチ: 制度を整えるだけでなく、実際に利用する物理的な空間、そして従業員一人ひとりの意識変革と知識向上を同時に進めたことが、包括的なインクルージョンを実現しました。
- 粘り強い対話と丁寧な周知: 全ての従業員が取り組みの目的を理解し、納得できるよう、様々な媒体や機会を通じて繰り返し丁寧に説明を行いました。一部の抵抗や誤解に対しては、感情的にならず、事実に基づいた対話と教育で向き合いました。
- 相談・サポート体制の整備と安心感の醸成: 制度があっても「使いにくい」「相談しにくい」という状況では意味がありません。安心して相談できる窓口を設け、プライバシーに配慮した運用を徹底することで、制度の実効性を高めました。
- 外部専門家との連携: 法務、医療、LGBTQ+支援などの外部専門家から適切な助言を得たことが、施策の質を高め、導入プロセスを円滑に進める上で非常に有効でした。
これらの点は、トランスジェンダーに関するインクルージョンに限らず、他の多様性に関する取り組みにおいても共通する成功の秘訣と言えるでしょう。
まとめ
クロスオーバー社の事例は、トランスジェンダー従業員への包括的な支援が、単に特定の属性を持つ従業員への配慮に留まらず、全従業員の心理的安全性を高め、生産性向上、採用力強化、企業イメージ向上といった組織全体のメリットに繋がることを示しています。
人事部やD&I推進部門の担当者の皆様におかれましては、本事例を参考に、まずは自社の現状を把握し、当事者の声に耳を傾けることから始めてみてはいかがでしょうか。制度改訂、環境整備、研修実施など、取り組むべき課題は多岐にわたるかもしれませんが、一歩ずつ着実に進めることが重要です。クロスオーバー社のように、多角的な視点から包括的な支援体制を構築していくことが、真にインクルーシブで多様な才能が輝く職場環境の実現に繋がるものと考えられます。
クロスオーバー社では、今後も従業員の声や社会の変化に合わせて制度や環境を見直し、全ての人が自分らしく活躍できる組織を目指していく計画です。