大手金融機関の事例:社内アンケート実施と活用が推進するLGBTQ+インクルージョン
なぜ、社内アンケートがLGBTQ+インクルージョン推進の起点となったのか
金融業界は、高度な専門性と信頼性が求められる一方、従業員の多様なバックグラウンドやニーズへの対応も喫緊の課題となっています。本記事で事例として紹介する大手金融機関、フロンティアバンク(仮名)もまた、D&I推進、特にLGBTQ+に関する取り組みを進める中で、「組織の現状が把握できていない」「従業員がどのような課題を感じているのか見えない」という壁に直面していました。
フロンティアバンクでは、既に福利厚生制度の一部に同性パートナーシップを認めるなどの施策は導入していましたが、それが実際に従業員に認知され、利用されているのか、また、制度だけではカバーできない職場の課題はないのか、といった点が不明確でした。経営層に対しても、抽象的な重要性だけでは具体的な投資や方針決定を促すことが難しい状況でした。そこで、組織全体のLGBTQ+に関する現状、従業員の意識、ニーズを客観的に把握するため、全従業員を対象とした社内アンケートの実施を決断しました。このアンケートは、単なる意識調査ではなく、今後の具体的な施策立案と推進、そしてその効果測定のための重要な第一歩と位置づけられました。
具体的な取り組み内容:現状把握から施策への展開
フロンティアバンクが実施した社内アンケートを中心とした取り組みは、以下の要素で構成されています。
- 全従業員向けLGBTQ+に関する意識・実態調査アンケートの実施:
- 目的: 従業員のLGBTQ+に関する知識レベル、社内制度の認知度、職場の心理的安全性、経験したことのある困難(ハラスメント等)、求めるサポートや制度など、多角的な視点から現状を把握すること。
- 設計の工夫:
- 匿名性の確保: 回答者の特定を防ぐため、システム設計と運用において匿名性を徹底しました。これにより、従業員が安心して正直な意見や経験を共有できる環境を整備しました。
- 質問項目の精査: D&I専門家や社内LGBTQ+当事者グループの意見を取り入れ、センシティブな内容に配慮しつつ、具体的な課題やニーズを引き出す質問項目を慎重に検討しました。例:「LGBTQ+に関する社内制度について知っていますか?」「職場に安心して相談できる人はいますか?」「もし自分がLGBTQ+当事者であったとして、この職場で働き続けたいと思いますか?」「どのような研修や情報提供があれば助かりますか?」など。
- 周知徹底: アンケートの目的、匿名性、回答結果がどのように活用されるかを事前に全従業員に丁寧に説明しました。D&I推進部門だけでなく、各部門の管理職にも協力を仰ぎ、回答を促進しました。
- アンケート結果の分析とフィードバック:
- 回収されたデータは、属性ごとの意識差(例:年代別、職種別)、制度認知度、具体的な課題の傾向などを詳細に分析しました。
- 分析結果は、経営層、管理職、そして全従業員向けに、それぞれの立場に合わせた形で分かりやすくフィードバックされました。特に全従業員向けには、プライバシーに配慮しつつ、組織全体の傾向や主要な課題点を共有し、「組織としてこれらの課題に真剣に取り組む」というメッセージを発信しました。
- アンケート結果に基づく施策の具体化と実行:
- アンケートで明らかになった課題(例:制度の認知度不足、特定のハラスメント事例、アライの少なさ、相談窓ち口へのアクセスの不明確さ)に基づき、具体的なアクションプランを策定しました。
- 制度改善・拡充: 制度認知度が低い項目については、社内ポータルでの情報掲載方法を見直したり、説明会を増やしたりしました。パートナーシップ制度の対象範囲や手続きに関する従業員の疑問点を解消するためのFAQを作成・公開しました。
- 研修・啓発: 従業員の知識不足が明らかになった項目(例:SOGIハラ、アウティング防止)について、内容を更新した全従業員向けeラーニング研修を実施しました。管理職向けには、アンケート結果で示された「部下からの相談への対応不安」に対応するため、具体的な対話スキルや相談窓口へのつなぎ方に関する研修を強化しました。
- 相談体制の強化: 安心して相談できる窓口の存在が十分に認知されていないことが判明したため、社内広報誌やイントラネットで繰り返し案内したり、相談しやすい担当者や制度(例:外部相談窓口)を改めて周知したりしました。
- アライコミュニティの活性化: アライになりたいという潜在的なニーズが確認されたため、アライ育成プログラムを体系化し、社内ネットワーク活動を支援するためのリソース(会議スペース、情報共有ツールなど)を提供しました。
導入プロセスと直面した課題、そして克服
アンケート実施に至るまでの道のりも容易ではありませんでした。
- 社内承認: アンケート実施には、個人情報保護への配慮や、全従業員への影響といった観点から、法務部門や情報システム部門を含む多部署との調整、そして経営層からの承認が必要でした。D&I推進部門は、アンケート実施の目的、得られる効果(現状可視化、データに基づいた施策立案)、匿名性の確保といった点をデータや外部事例を提示しながら粘り強く説明し、理解と協力を得ました。
- アンケート設計の難しさ: LGBTQ+に関する質問はセンシティブであり、質問の仕方によっては従業員に不快感を与えたり、回答率が低下したりするリスクがありました。社内外の専門家との連携、試行錯誤を重ね、公平かつ具体的なニーズを引き出せる質問項目を設計しました。
- 回答率の向上: 全従業員を対象とするため、いかに多くの従業員に関心を持ってもらい、回答してもらうかが課題でした。経営層からのメッセージ発信、D&I推進部門による丁寧な説明会の実施、各部門長への協力依頼、期間中のリマインダー通知など、様々な方法を組み合わせて回答を促しました。結果として、目標を上回る回答率を達成することができました。
- 結果の解釈と活用: アンケート結果は様々なデータを含んでおり、それをどのように読み解き、説得力のある形で経営層や各部門に伝え、具体的なアクションに繋げるかが重要でした。専門家のアドバイスを受けながら分析を行い、特に「従業員エンゲージメントへの影響」「離職リスク」「採用市場での企業イメージ」といった経営層が重視する視点と関連付けて説明を行いました。
導入後の変化と効果:データが示す前進
アンケート実施とその後の取り組みは、フロンティアバンクの社内文化に複数の変化をもたらしました。
- 現状の可視化: 曖昧だった従業員の意識やニーズ、課題が具体的なデータとして可視化されました。これにより、D&I推進のボトルネックが明確になり、効果的な施策にリソースを集中できるようになりました。例えば、制度自体の存在は知られていても、利用方法や具体的な内容が理解されていないという実態が判明し、周知方法を根本的に見直す契機となりました。
- 従業員の意識変化とエンゲージメント向上: アンケート実施そのものが、会社が従業員の多様性に関心を持ち、働きやすい環境を作ろうとしているというメッセージとなり、従業員のエンゲージメント向上に繋がりました。「会社が私たちの声に耳を傾けてくれた」「課題が共有されたことで、解決に向けて期待が持てる」といったポジティブな声が多く聞かれました。また、アンケート結果を受けた具体的な施策(研修など)を通じて、LGBTQ+に関する従業員の知識や理解も向上しました。
- 経営層の理解促進: データに基づいた報告は、経営層の意思決定において非常に説得力がありました。「従業員の心理的安全性が生産性にどう影響するか」「特定の制度が採用競争力にどう結びつくか」といった点をデータ(例:アンケート結果における心理的安全性の自己評価とエンゲージメントスコアの相関など)で示すことで、D&I推進の重要性をより深く理解してもらうことができました。
- 具体的な施策の効果測定: アンケートは一度きりではなく、定期的な実施を計画しています。これにより、施策導入後の従業員の意識や職場の状況の変化を定点観測し、取り組みの効果を測定し、継続的な改善に繋げることが可能になりました。
成功のポイントと示唆:データに基づく推進の力
フロンティアバンクの事例から学ぶべき成功のポイントはいくつかあります。
- 目的の明確化と共有: なぜアンケートを実施するのか、その目的(現状把握、ニーズ収集、施策効果測定、経営層への説明)を明確にし、関係者や従業員全体に丁寧に共有したことが、協力と理解を得る上で重要でした。
- 匿名性確保と信頼性: センシティブな情報を含むアンケートにおいては、回答の匿名性を技術的・運用的に徹底し、従業員からの信頼を得ることが不可欠です。
- 結果の丁寧な分析と多角的なフィードバック: 単にデータを集計するだけでなく、多様な視点から分析し、経営層、管理職、全従業員に対して、それぞれの立場に合わせた形式で結果をフィードバックすることが、組織全体の意識変革と行動変容を促す鍵となります。
- データと施策の連動: アンケート結果を単なる報告で終わらせず、具体的な制度改善、研修内容の見直し、相談体制の強化といった具体的なアクションにダイレクトに繋げたことが、取り組みの実効性を高めました。
- 経営視点との連携: アンケート結果を、従業員ウェルビーイングだけでなく、生産性、採用、企業イメージといった経営層が重視する指標と関連付けて説明することで、D&I推進を経営戦略の一環として位置づけることが容易になりました。
まとめ:データから始まるインクルージョンの旅
フロンティアバンクの事例は、LGBTQ+インクルージョン推進において、客観的なデータに基づく現状把握がいかに重要であるかを示しています。社内アンケートを通じて従業員の「生の声」や具体的な課題、ニーズを収集し、それを分析・活用することで、より効果的で従業員の実情に即した施策を立案・実行することが可能になります。
この記事を読まれた皆様も、自社のD&I推進において、「何から始めれば良いか分からない」「施策が従業員に響いているか不明確」「経営層への説明材料が不足している」といった課題を感じているかもしれません。フロンティアバンクのように、まずは社内アンケートから現状を可視化し、データに基づいた対話と施策展開を進めてみてはいかがでしょうか。データは、インクルージョン推進という旅の羅針盤となり、組織全体をより包容的な未来へと導く力となるでしょう。今後もフロンティアバンクでは、定期的なアンケート実施を通じて効果測定と継続的な改善を進めていく方針です。