大手保険会社の事例:安心して語れる場と心理的支援が築くLGBTQ+インクルーシブな職場
はじめに
近年、企業におけるダイバーシティ&インクルージョン(D&I)推進の重要性が高まっています。中でも、LGBTQ+に関する取り組みは、従業員のウェルビーイング向上や心理的安全性の確保に不可欠な要素として注目されています。しかし、多くの企業、特に従業員数の多い組織では、LGBTQ+に関する相談ニーズの把握や、既存の相談体制だけでは対応しきれない専門性への対応が課題となっています。
本記事では、大手保険会社であるあんしん生命保険株式会社(仮称)が、LGBTQ+インクルージョン推進の一環として導入した「安心して語れる場」としての相談窓口と心理的支援体制の構築事例をご紹介します。同社がなぜこの取り組みに着手したのか、具体的な施策内容、導入プロセスでの課題、そして導入後に見られた変化や効果について、人事・D&I推進担当者の皆様の参考となるよう、実践的な視点から深く掘り下げてまいります。
事例対象企業:あんしん生命保険株式会社(仮称)
あんしん生命保険株式会社は、国内有数の大手保険会社として、全国に支社・営業所を持ち、多様なバックグラウンドを持つ従業員が勤務しています。金融サービスを提供する企業として、顧客に対しても多様なニーズへの対応が求められる中、社内の多様性推進は経営戦略上も重要な位置づけとされていました。
同社がLGBTQ+インクルージョンに本格的に取り組み始めた背景には、従業員向けの意識調査やヒアリングを通じて、カミングアウトの困難さ、職場で感じる不安や孤立感、適切な相談相手が見つからないといった課題が明らかになったことがあります。特に、メンタルヘルスへの影響が懸念される声も聞かれ、制度整備だけでなく、従業員が安心して「声」を上げ、必要なサポートを受けられる環境が必要であるという問題意識が高まりました。
これらの課題を受け、同社は全従業員が自分らしく、安心して働くことができる環境を整備するため、LGBTQ+に関する専門的な相談・支援体制の構築を主要な取り組みの一つとして位置づけました。
具体的な取り組み内容:安心して語れる場と心理的支援の構築
あんしん生命保険株式会社が実施した具体的な取り組みは多岐にわたりますが、中でも従業員の安心感と心理的安全性に直結する施策として、以下の3つの柱を中心に体制構築を進めました。
-
LGBTQ+専門相談窓口の設置:
- 目的: 従業員が自身の性的指向や性自認に関する悩み、職場で直面する困難について、専門的な知識と理解を持った相談員に安心して相談できるチャネルを提供する。
- 内容: 外部の専門機関(NPO法人やカウンセリングサービス提供会社)と連携し、LGBTQ+に関する専門知識を持つ相談員による電話、メール、オンライン、対面(予約制)での相談窓口を設置しました。相談員は、LGBTQ+当事者やアライであり、守秘義務教育を徹底されたプロフェッショナルです。匿名での相談も可能とし、相談内容が本人同意なく人事情報として扱われることはないことを明確に周知しました。
- 工夫点: 既存のハラスメント相談窓口とは別に、専門性を高めた独立した窓口とすることで、よりアクセスしやすく、安心して利用できる仕組みとしました。また、相談員リストには相談員の持つ専門性やバックグラウンドを可能な範囲で明示し、従業員が自分に合った相談相手を選びやすいように配慮しました。
-
EAP(従業員支援プログラム)のLGBTQ+対応拡充:
- 目的: メンタルヘルスに関する懸念や、カミングアウト前後の心理的な負担などに対し、専門的な心理的支援を提供する。
- 内容: 提携しているEAP提供会社に対し、LGBTQ+に関する専門的なカウンセリングが可能なカウンセラーの配置を依頼し、対応範囲を拡充しました。また、EAPの利用ガイドや社内広報資料において、LGBTQ+に関する悩みがEAPの相談対象となることを明記し、利用を促進しました。
- 工夫点: EAP提供会社と密に連携し、カウンセラー向けのLGBTQ+インクルージョン研修を実施するなど、専門性の向上に努めました。既存のEAPを活用することで、新たなサービス導入よりもスムーズに、かつ幅広い従業員にアクセス可能な形で専門的支援を提供できるようになりました。
-
社内アライによるピアサポート体制の強化:
- 目的: 身近に相談できる相手や、社内で共感・理解を得られるコミュニティを提供し、孤独感の解消や心理的負担の軽減を図る。
- 内容: 社内アライネットワークの活動を支援し、アライ向け研修において、LGBTQ+に関する基本的な知識に加え、傾聴スキルや適切な情報提供の方法など、ピアサポートに必要なスキルの習得を促進しました。アライネットワーク主催のオンライン/オフライン相談会や交流会を定期的に開催し、参加者が安心して交流できる場を提供しました。
- 工夫点: 公式の相談窓口やEAPとは異なる、非公式かつ身近な相談相手としてのアライの役割を明確にし、それぞれのチャネルが相互に補完し合うように連携を強化しました(例:アライが相談窓口やEAPの存在を案内するなど)。
これらの取り組みに加え、同社は全従業員向けにLGBTQ+に関する基礎知識やアライシップについての啓発研修を継続的に実施し、社内報やイントラネットを通じて取り組みの背景や相談窓口の情報を繰り返し発信するなど、地道な周知・啓発活動にも注力しました。また、福利厚生制度(慶弔休暇、家族手当など)における同性パートナーの認定や、社員寮・社宅制度の見直しなども同時に進め、包括的なインクルージョン施策として展開しました。
導入プロセスと課題
こうした相談・支援体制の構築は、以下のプロセスで進められました。
- 現状把握とニーズ分析: 従業員アンケートやヒアリング、既存の相談窓口への相談内容分析などを行い、LGBTQ+に関する具体的な課題や相談ニーズを定量・定性の両面から把握しました。
- 推進チームの発足と計画策定: 人事部、産業医、メンタルヘルス担当、多様性推進チームのメンバーを中心としたプロジェクトチームを発足。外部のLGBTQ+関連団体や法律家、EAP専門家から助言を得ながら、具体的な施策内容、スケジュール、予算案を策定しました。
- 経営層への提案と承認: 従業員のウェルビーイング向上、心理的安全性の確保、ひいては生産性向上や離職率低下、企業イメージ向上といった経営的なメリットを明確に提示し、丁寧な説明を通じて経営層の理解とコミットメントを得ました。
- サービスプロバイダーの選定と連携: 複数の外部専門機関やEAP提供会社を比較検討し、専門性、実績、提供体制、コストなどを評価して提携先を選定しました。緊密な連携体制を構築し、社内ニーズに合わせたカスタマイズを行いました。
- 社内規程・マニュアルの整備と周知: 相談窓口の規程、対応マニュアル、プライバシー保護に関するルールなどを整備しました。全従業員向けに、窓口の存在、利用方法、匿名性、プライバシー保護について、繰り返し丁寧な周知活動を実施しました。
- 担当者・相談員研修の実施: 窓口担当者、人事担当者、管理職、アライ向けに、LGBTQ+に関する基礎知識、アンコンシャスバイアス、相談対応スキル、事例検討などの研修を実施しました。
導入プロセスでは、いくつかの課題に直面しました。
- 経営層や一部従業員の理解不足: LGBTQ+に関する相談がなぜ専門的な対応を必要とするのか、あるいは相談窓口の設置がなぜ全従業員にとってメリットがあるのかについて、十分な理解が得られないケースがありました。これに対しては、データや他社事例を示し、従業員のウェルビーイングが組織全体のパフォーマンスにどう影響するかを粘り強く説明しました。
- 予算確保: 専門的なサービスには一定のコストがかかります。投資対効果を明確に示し、単なるコストではなく、人材への投資であるという視点から予算確保に取り組みました。
- 相談内容の機微性への対応: 相談内容には非常にデリケートなものが含まれるため、相談員の専門性、守秘義務の徹底、そして従業員からの信頼獲得が不可欠でした。外部の専門機関との連携や研修を強化することでこれに対応しました。
- 従業員への周知徹底: 従業員数が多いため、相談窓口の存在や利用方法が全ての従業員に確実に届くように、社内報、イントラネット、ポスター、各種説明会など、多角的なチャネルを活用した継続的な広報活動が必要でした。
導入後の変化と効果
相談・支援体制導入後、あんしん生命保険株式会社では、以下のようなポジティブな変化や効果が見られました。
- 相談件数の増加と潜在ニーズの顕在化: 専門相談窓口への問い合わせ件数が着実に増加しました。これは、これまで声にできなかった従業員が、安心して相談できる場所ができたことでニーズが顕在化したものと捉えられています。
- 従業員の安心感と心理的安全性の向上: 従業員満足度調査における「安心して働けるか」「困ったときに相談できる相手がいるか」といった項目で肯定的な回答が増加しました。特に、LGBTQ+当事者やアライを対象としたヒアリングでは、「会社が自分たちの存在を認め、支援しようとしてくれている姿勢を感じられる」「一人で抱え込まずに済むようになった」といった声が多く聞かれました。
- メンタルヘルス不調の予防・軽減: EAP利用件数の増加に加え、LGBTQ+に関する悩みが原因と思われる休職・離職件数の減少傾向が見られました(これは他の施策や要因も複合的に影響するため、相談窓口単体の効果測定は困難ですが、人事担当者は関連性を感じています)。
- 採用活動へのポジティブな影響: 採用面接時に、候補者から会社のLGBTQ+インクルージョンへの取り組みについて質問される機会が増加しました。相談・支援体制の存在を採用広報で発信することで、多様なバックグラウンドを持つ候補者からの応募が増え、採用力向上に繋がっています。
- 企業イメージの向上: 外部のD&I評価において高い評価を得る一因となり、企業ブランドイメージの向上に貢献しました。顧客やビジネスパートナーからも、多様性を尊重する企業姿勢として評価されています。
- アライネットワークの活性化: ピアサポートの役割が明確になったことで、社内アライネットワークへの参加者が増加し、活動がより活発になりました。アライ同士の連携が強まり、相互サポートの輪が広がっています。
これらの効果は、単に制度を整えるだけでなく、従業員一人ひとりの心理的な安心感に寄り添うことの重要性を示しています。経営層への説明においても、相談件数やアンケート結果といったデータに加え、従業員からの定性的な声や採用活動への影響などを報告することで、取り組みの価値を具体的に伝えることができています。
成功のポイントと示唆
あんしん生命保険株式会社の相談・支援体制構築事例から学べる成功のポイントは以下の通りです。
- 経営層の明確なコミットメント: D&I推進が経営戦略の一環として位置づけられ、経営層がこの取り組みの重要性を理解し、予算やリソース確保にコミットしたことが大きな推進力となりました。
- 外部専門機関との連携: LGBTQ+に関する専門的な知識やカウンセリングスキルを持つ外部機関と連携することで、社内だけでは難しい質の高い相談・支援を提供できました。これは、従業員からの信頼獲得に不可欠です。
- 複数の相談チャネルの提供: 専門相談窓口、EAP、アライによるピアサポートなど、従業員が自身の状況やニーズに合わせて選択できる複数のチャネルを用意したことで、相談へのハードルを下げ、より多くの従業員がアクセスできるようになりました。
- プライバシー保護と信頼醸成の徹底: 匿名相談の保証、守秘義務の徹底、相談内容が人事評価に影響しないことの明確化など、プライバシー保護への配慮を徹底し、従業員が安心して相談できる環境を整備しました。これが信頼獲得の基盤となりました。
- 継続的な周知・啓発活動: 相談窓口の存在や利用方法、LGBTQ+に関する基礎知識について、多角的かつ継続的に情報発信を行うことで、従業員への周知徹底と理解促進を図りました。
この事例は、制度を導入するだけでなく、従業員が安心して「声」を上げ、必要なサポートを受けられる「場」や「仕組み」を整備することの重要性を示唆しています。特に、従業員の心理的安全性は、組織全体の活性化や生産性向上に不可欠な要素であり、相談・支援体制はその基盤を築く上で重要な役割を果たします。
まとめ
本記事では、あんしん生命保険株式会社のLGBTQ+インクルージョンにおける相談・支援体制構築事例をご紹介しました。従業員が安心して自身の悩みを語り、専門的なサポートを受けられる環境を整備することは、LGBTQ+当事者だけでなく、全ての従業員のウェルビーイングと心理的安全性を高めることに繋がります。
同社の事例は、現状の課題を正確に把握することから始まり、外部専門家との連携、複数のチャネル整備、そして何よりもプライバシー保護と信頼醸成に徹底的にこだわって進められたプロセスでした。導入プロセスでの課題克服や、導入後の相談件数増加、従業員の安心感向上といった具体的な効果は、人事・D&I推進担当者の皆様が自社で同様の取り組みを検討する上で、貴重な示唆を与えてくれるものと考えられます。
自社でのD&I推進において、従業員の「声」にどのように耳を傾け、安心して働ける環境をどう整備するかは大きな課題です。あんしん生命保険株式会社の事例を参考に、一歩ずつでも着実に、全ての従業員にとってインクルーシブな職場環境の実現を目指していただければ幸いです。今後は、相談内容の分析結果を活かしたさらなる施策改善や、相談・支援体制の対象範囲の拡充などが検討されていくことでしょう。