大手医療法人ヘルスケアパートナーズの事例:地域社会と共に歩むLGBTQ+インクルージョン
導入:医療現場における多様性の受容と必要性
大手医療法人ヘルスケアパートナーズは、複数の病院やクリニック、介護施設などを運営し、地域医療の中核を担っています。同法人が近年、本格的に取り組んでいるのがLGBTQ+(性的マイノリティおよび性自認が多数派でない人々)に関するインクルージョン推進です。
医療現場においては、医療従事者自身の多様性への理解不足や無意識の偏見が、LGBTQ+当事者である従業員の働きづらさにつながることが課題として認識されていました。同時に、患者やその家族といった医療サービスの利用者が、自身のセクシュアリティや性自認に関して安心して医療従事者とコミュニケーションを取れない、適切な配慮を受けられないといった課題も顕在化していました。これは、信頼関係に基づいた医療の提供を妨げるだけでなく、当事者が医療機関の受診をためらい、健康上の問題を抱え込んでしまうリスクにもつながります。
ヘルスケアパートナーズでは、こうした課題意識に基づき、「すべての人々が心身ともに健やかに暮らせる社会の実現」という法人の理念を実現するためには、従業員、患者、そして地域社会全体における多様性の受容とインクルージョンの推進が不可欠であるとの結論に至りました。本記事では、同法人がどのように従業員と患者、さらには地域社会という多角的な視点からLGBTQ+インクルージョンを推進し、どのような変化をもたらしたのか、その具体的な事例を紹介します。
具体的な取り組み内容:従業員、患者、地域への包括的アプローチ
ヘルスケアパートナーズのLGBTQ+インクルージョンへの取り組みは、多岐にわたります。特に以下の3つの柱を中心に施策を展開しています。
1. 従業員向けの制度整備と意識改革
- 人事制度・福利厚生の見直し: パートナーシップ証明制度を導入している自治体の証明書を持つ職員に対し、法律上の婚姻関係にある職員と同等の慶弔休暇や住宅手当、家族手当などの福利厚生が適用されるよう制度を改定しました。また、採用や人事手続きにおいて、履歴書の性別欄を任意記載とする、性別に関する選択肢を複数設けるなど、性自認に配慮した運用を開始しました。職員が希望する名称(通称名)での業務遂行を可能にするガイドラインも策定しています。
- 研修・啓発活動: 全従業員向けに、LGBTQ+に関する基礎知識、医療現場で起こりうる困りごと、アライ(LGBTQ+を理解し支援する人々)としての振る舞いなどを学ぶeラーニング研修を必須化しました。また、管理職向けには、ハラスメント防止や個別の相談への対応方法、合理的配慮に関する実践的な研修を実施しています。年数回の専門家を招いたセミナーや、当事者職員による体験談発表会なども開催し、継続的な学びの機会を提供しています。
- 職員ネットワークの支援: 当事者やアライの職員で構成される自主的なネットワークの活動を積極的に支援しています。情報交換会の開催費補助、法人内での情報発信チャネル提供などを行い、職員同士が安全に交流し、相互にサポートし合える場を提供しています。このネットワークは、制度改善や研修内容に関する現場の声を吸い上げる重要な役割も担っています。
2. 患者向けの配慮と情報提供
- 診療・ケアにおけるガイドライン策定: LGBTQ+の患者が安心して医療を受けられるよう、問診時の配慮(パートナーシップの確認、性自認に基づく氏名使用の確認)、病室選択における柔軟な対応(個室利用への配慮)、面会者の定義見直し(法的な家族以外も含む)などに関する内部ガイドラインを策定し、医療従事者に周知徹底しました。
- 院内表示と情報提供: 院内各所に、LGBTQ+の方々への配慮を示すポスターやステッカーを掲示し、全ての人々が歓迎される雰囲気づくりに努めました。また、法人のウェブサイトには、LGBTQ+当事者向けの受診に関するQ&Aや、相談窓口に関する情報を掲載し、事前に不安を解消できるよう情報提供を強化しています。
- 多目的トイレの設置推進: 新設・改修の病棟や施設を中心に、性別にかかわらず利用できる多目的トイレの設置を進めています。
3. 地域医療機関・団体との連携
- 地域医療機関との情報共有・研修: 地域内のクリニックや連携医療機関向けに、LGBTQ+に関する基礎知識や患者対応に関する情報交換会、研修会を定期的に開催しています。地域全体でLGBTQ+当事者が適切な医療を受けられる環境を整備することを目指しています。
- 地域NPO等との連携: LGBTQ+関連の地域NPOや当事者団体と連携し、互いの情報提供や啓発活動への協力を行っています。NPOからは医療現場へのフィードバックを受け、より実践的な対応に活かしています。
導入プロセスと課題:粘り強い対話と現場の声の活用
これらの取り組みを推進するにあたり、ヘルスケアパートナーズではまず理事長直轄のD&I推進プロジェクトチームを発足させました。チームは、外部の専門家や当事者団体からのヒアリング、従業員への意識調査アンケートを通じて、現状の課題とニーズを詳細に把握しました。
制度やガイドラインの策定にあたっては、法務部門や人事部門だけでなく、各病院・施設の現場責任者や医療従事者代表からも意見を幅広く収集しました。特に、患者への配慮に関するガイドラインは、医療現場のオペレーションへの影響が大きいため、医師、看護師、医療事務など、様々な職種の意見を反映させることに時間をかけました。
導入時に直面した課題としては、以下のような点がありました。
- 医療現場の多忙さ: 日々の業務に追われる医療従事者にとって、新たな研修時間の確保や、既存のオペレーション変更への対応は大きな負担となるという声が多く聞かれました。これに対しては、eラーニングによる時間や場所を選ばない学習機会の提供や、短時間で要点を伝えるミニ研修、現場でのOJT形式での説明などを組み合わせることで対応しました。
- 一部職員の意識変革への抵抗: 特に高齢の職員や、これまでLGBTQ+に関する情報に触れる機会が少なかった職員の中には、取り組みの必要性への理解が進まなかったり、戸惑いを感じたりするケースが見られました。これに対しては、一方的な押し付けではなく、なぜこの取り組みが必要なのか、当事者が実際にどのような困難に直面しているのかを、対話や当事者の声を通じて丁寧に伝える努力を続けました。職員ネットワークが開催する交流会が、こうした相互理解を深める上で重要な役割を果たしました。
- システム・運用面の課題: 既存の人事システムや電子カルテシステムが、性別に関する情報入力や氏名表示の多様なニーズに対応できないといった技術的な課題も存在しました。これらは一朝一夕には解決できないため、まずは手運用での対応を行いながら、システムの改修計画を中長期的に検討しています。
これらの課題に対し、ヘルスケアパートナーズは、理事長による強い推進力と、現場職員の声を拾い上げる職員ネットワークの活動、そして外部専門家の知見を組み合わせることで、粘り強く取り組みを進めてきました。
導入後の変化と効果:心理的安全性向上と地域からの信頼
ヘルスケアパートナーズのLGBTQ+インクルージョン推進は、導入後に様々なポジティブな変化をもたらしています。
従業員向けアンケートによると、「職場で自分のセクシュアリティや性自認について安心して話せる」と感じる職員の割合が増加し、心理的安全性スコアが向上しています。職員ネットワークの参加者数は継続的に増加しており、活発な意見交換やピアサポートが行われています。これにより、当事者である職員が安心して働き続けられる環境が整備されつつあります。実際に、取り組み開始後にカミングアウトする職員も複数現れており、これは職場への信頼感が高まっていることの表れと言えます。また、採用活動においても、法人のD&Iへの取り組みは求職者からの評価が高く、多様な人材の獲得につながっています。
患者からの反応も良好です。院内に設置された意見箱には、LGBTQ+に関する配慮への感謝の声や、安心して医療を受けられたという体験談が寄せられるようになりました。ウェブサイトの相談窓口への問い合わせ件数も増加しており、これは「この医療機関なら相談できる」という認知が広がり始めていることを示唆しています。地域医療機関との連携やNPOとの協働は、ヘルスケアパートナーズが地域社会における多様性受容のハブとしての役割を担い始めていることを意味しており、地域からの信頼向上にも貢献しています。
これらの取り組みは、直接的な利益にすぐ結びつくものではありませんが、従業員のエンゲージメント向上による離職率の抑制、多様な視点による医療サービスの質の向上、そして地域からの信頼獲得といった形で、法人の中長期的な発展に貢献するものと期待されています。経営層は、これらの効果を「働きがいのある職場づくり」と「地域における選ばれる医療機関」という観点から評価しており、取り組みの重要性を再確認しています。
成功のポイントと示唆:多角的な視点と継続的な対話
ヘルスケアパートナーズのLGBTQ+インクルージョン推進が成功している要因は複数考えられますが、特に以下の点が重要であると言えます。
- 経営層の強いコミットメント: 理事長自らが推進の旗振り役となり、全職員に対しメッセージを発信し続けたことが、組織全体の意識変革を加速させました。
- 従業員と患者双方へのアプローチ: 従業員の働きやすさ向上だけでなく、患者の医療アクセス向上という医療機関ならではの社会的使命を明確に位置づけたことが、取り組みの意義を広く共有する上で有効でした。
- 現場の声の重視とボトムアップの活用: 職員ネットワークを支援し、現場の課題やニーズを吸い上げる仕組みを構築したことで、実効性のある施策策定につながりました。
- 地域社会との連携: 法人内部だけでなく、地域全体でのインクルージョン推進という視点を持つことで、より大きな社会的なインパクトを生み出し、信頼を獲得しています。
- 継続的な学びと対話の機会: 一度きりの研修で終わらせず、様々な形式で学びの機会を提供し、デリケートな課題についても粘り強く対話を重ねたことが、理解の浸透につながりました。
これらのポイントは、業種を問わず、D&I推進に取り組む多くの企業にとって示唆に富むものと考えられます。特に、自社の事業特性や社会的役割に即した独自の視点を持つこと、そして現場を巻き込み、継続的な対話を重視することが、実効性のあるインクルージョン推進の鍵となります。
まとめ:全方位的なインクルージョンが拓く未来
大手医療法人ヘルスケアパートナーズの事例は、LGBTQ+インクルージョンが、従業員のウェルビーイング向上だけでなく、顧客(この場合は患者)満足度や企業(医療機関)の信頼性向上にも貢献する経営戦略の一環であることを示しています。従業員、患者、地域社会という多角的な視点から包括的にアプローチし、経営層のリーダーシップと現場の主体性を組み合わせることで、着実に組織文化を変革し、ポジティブな効果を生み出しています。
この記事を通じて、読者の皆様が自社におけるLGBTQ+インクルージョン推進のヒントを得られたならば幸いです。自社の事業特性や文化に合わせた形で、従業員の働きやすさ、顧客体験の向上、そして社会への貢献といった観点から、どのような取り組みが可能か、ぜひ検討を進めてみてください。ヘルスケアパートナーズの挑戦は、全方位的なインクルージョンが持続可能な組織運営とより良い社会の実現に貢献することを証明しています。